武蔵野読書生活

神保町と古書店、そしてうまいカレーが好きな本好きのブログ

「星空の二人」…ハードSF作家謹製のお手軽屋台料理をしばし堪能

昔、出版社に勤めていたとき、仕事柄遅めの昼飯を摂ることになるが、だいたい手早く済ませるべく近所の牛丼屋や社内ワゴン販売のサンドイッチ、コンビニ弁当になりがちだった。ただ、小さな楽しみは週に二回、本社社屋脇の小さな広場にバンで営業に来るカレー屋さんだった。バンの後部に据えた寸胴から小さな発泡スチロールのトレイに盛られたタイカレーやインドカレーなどエスニック料理を手軽に食べられるのがちょっとした贅沢にもなっていた。屋台営業で来ていたのはたぶん30代とおぼしき青年で、将来店を持つために都内三カ所で営業している、と語っていた。当時はまだそういう形態はあまり見かけなかったが、今では大手町や有楽町、新宿などに屋台村が営業していて、もっと気軽に食べられるようになったけど。数年後、人づてに彼が店を持ったと聞いて行ってみたが、彼はこちらを覚えていなかった。が、味は当時の雰囲気を残していて、ちょっとだけ遠い日を思い出させてくれた。

「星空の二人」は今や仮想戦記作家にしてSF作家、冒険小説でも知られる谷甲州氏の短編集だ。「航空宇宙軍史」シリーズ、「覇者の戦塵」シリーズなど愛読者も多いだろう。もちろん、私もその一人だ。冒頭、屋台の話を書いたのは、大作家の短編集、それも世界観が統一されていない場合は、なんとなく屋台で出す「味は一流だがボリューム感ではチト不満」というイメージで連想したからだ。短編集だから「ああ、もっと読みたい、読ませてくれ」と深追いしても次のページをめくると、別の世界観と主人公が待っている。ただ、本店、つまり長編作品で思う存分腕をふるう谷氏の片鱗を、この書籍に収められた短編は、短く濃縮された形で我々読者に味あわせてくれるのだ。
私的にはさいきんお留守気味の「航空宇宙軍史」シリーズのもっとも未来の時代を構成する作品として「ガネッシュとバイラブ」が読みたくて本書を手にしたが、本書にはハードSF作家として知られる谷氏にしてはやや暴走気味の"スラップスティックコメディ"系短編なども収録されている。ハードSF好みの読者の中には、あまりお好みではない向きもあるだろうが、「甘いあんこに塩ひとつまみ、汁粉は一層味が引き立つ」的な意味で捉えればそれもあるいはありではないかと思う次第だ。
ハードSF系作家にして仮想戦記系といえば故・光瀬龍氏という偉大なSF作家が居た(過去形なのは大変残念だが)。彼も「派遣軍還る」や一連の「東キャナル市」作品など星間文明史シリーズで堅い作品を生み出したかと思えば、同じ世界を舞台に「猫柳ヨウレの冒険」というスラップスティック系作品も創造している。谷氏も負けず劣らずでコメディ大長編を我々読者に提示して欲しいものだ。いっそ、航空宇宙軍史シリーズと世界観を共通にしたコメディ作品というのも面白いかもしれないが…

ちなみに表題「星空の二人」もハートウォームな短編で読後感さわやか、まさにオススメの一品ですな。